ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

カーテンコール

 過去に何回か父親が映画館を経営していた、と書いた事がありますが、その私の心の琴線に触れる映画に出くわしてしまいました。邦画「カーテンコール」です。シネリーブルでやってたのを見逃したのですが、やっとレンタルDVDが出たので自宅で鑑賞しました。自宅でよかったです。もう途中から涙腺緩みっぱなし、顔くしゃくしゃ(ToT)
カーテンコール

橋本香織(伊藤歩)は東京の出版社で働く25歳。あるスキャンダル記事により、福岡のタウン誌の編集部に異動を命じられてしまう。そこで目にした一通の葉書に彼女は心惹かれる。それは、「昭和30年代~40年代中頃まで下関の映画館にいた幕間芸人を探して欲しい」という投稿だった。
その映画館「みなと劇場」を訪れた彼女は、幕間芸人・安川修平(藤井隆)と彼の家族との悲しい過去、そして今も父親を心の中で求め続ける一人の女性・美里(鶴田真由)の存在を知ることになるのだった……。 (AMAZON解説より)

 良くあんな映画館が残っていたなあ、と思うほど昔親父がやっていた映画館にそっくり。外観、宣伝看板、売店売店の裏の狭い事務所、映写室(技師役が何と「先生」福本さん!)、ロビーとは名ばかりの狭いスペース、重い扉、階段状の客席の床はコンクリート打ちっぱなし、スクリーンの前には少し舞台がせり出していて、緞帳には宣伝が入っている、、、等々。
 Official HPの制作秘話を見ると、

舞台となる<みなと劇場>は北九州八幡で実際に営業している映画館をフィルムコミッションのスタッフが探し出し、撮影のために休館までして協力してくれた。

と書いてありました。本当にまだあんな映画館があるんだ!

 そこで繰り広げられる日本映画の栄枯盛衰も本当に映画の通りでした。親父の映画館は借地だったこともあり、映画が斜陽産業となった私の中学時代に閉めてしまいました。今回その記憶が映画館独特の臭いや暗騒音、空気感といったものまで含めて五感で呼び覚まされるような気がして、イタリア映画「ニュー・シネマ・パラダイス」よりも更に心に迫る部分がありました。
 不況の為解雇される藤井隆の最後の舞台がこの映画最初の泣かせどころですが、述懐する売店藤村志保さんの

「皮肉な事に大入り満員がでたのはその年であの日一回きりやった」

と言うセリフにも泣いてしまいました。

 じゃあ日本映画興業の栄枯盛衰だけがテーマのお涙頂戴ものなのかと言うと、そうではなく、親子の愛憎在日朝鮮人差別等を後半しっかり描くことにより、より優れた映画となっています。実際我々の世代だと、主人公の親夏八木勲が何気なくもらすような戦争世代の人たちの偏見を目の当たりに見てきただけに、藤井隆演じる安川修平が「どう言うわけか正社員としては雇って貰えなかった」と藤村志保さんが言っただけでああ何らかの就職差別かと推測できてしまいました。取材する主人公伊藤歩にもある秘密があるのですがそれは伏せておきましょう。

 少し残念なのが、エンディングのあり方。娘美里(鶴田真由)と父安川修平(井上尭之)との再会があまりにも唐突でどうして!?と思ってしまいました。ちょっと説明不足と言うか、つながりが悪いですね。本当に惜しい。

 演技的には藤井隆が良く頑張っていました。彼の芸や歌が最初は受けていたが、所詮素人芸なので段々飽きられていくというあたり、うまく演じていました。さすが吉本で叩きあげられた芸人だけの事はありますね。ギターの弾きかたも如何にも素人芸と言う感じでしたが、晩年役の俳優さんがおんなじようなギターを持ちながら段違いにうまいのでビックリ。最後のクレジットで何と!井上尭之さんだと知って余計にビックリしました。

 というわけで、別に昭和にノスタルジーがなくとも、映画好きの方なら是非見ていただきたい一本です。