ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

わたしを離さないで / カズオイシグロ

は: 今回は久しぶりに書評でございますね。
ゆ: そうそう、実は高校同期の読書家N君がMLで紹介してたんだけど、なんと私を直接ご指名で是非読んでみて下さいと書いてあったもんでね(^_^;) 
は: 「日の名残り」で有名な日系イギリス人小説家カズオ・イシグロの6作目の長編小説「Never Let Me Go/私を離さないで(土屋政雄訳)」でございますね。
わたしを離さないで
わたしを離さないで

は: 「日の名残り」は私と同じ優秀な執事が主人公の心に沁みる物語でございました(ウルウル(;_;))
ゆ: それを言いたくて「日の名残」を出してきたね、はむちぃ君。それならこっちもキャメルの「Never Let Go」を出さねばのう。
は: Meが抜けております(-_-;)。主体性を持って下さいませ。まずは梗概でございますが、

自他共に認める優秀な介護人キャシー・Hは、提供者と呼ばれる人々を世話している。キャシーが生まれ育った施設ヘールシャムの仲間も提供者だ。共に青春の日々を送り、かたい絆で結ばれた親友のルースとトミーも彼女が介護した。キャシーは病室のベッドに座り、あるいは病院へ車を走らせながら、施設での奇妙な日々に思いをめぐらす。図画工作に極端に力をいれた授業、毎週の健康診断、保護官と呼ばれる教師たちの不思議な態度、そして、キャシーと愛する人々がたどった数奇で皮肉な運命に……。彼女の回想はヘールシャムの驚くべき真実を明かしていく――英米で絶賛の嵐を巻き起こし、代表作『日の名残り』を凌駕する評されたイシグロ文学の最高到達点(AMAZON解説より)

ゆ: さて、主体性を持てといわれたのに何ですが、
は: 何ですか? 
ゆ: 実は私の好きな翻訳者柴田元幸が解説しておられるのだ。研ぎ澄まされた感覚でもって、短いセンテンスでこの小説の本質を言い当てた彼の文章を引用してみましょう。

細部まで抑制が利いていて、
入念に構成されていて、
かつ我々を仰天させてくれる、
きわめて稀有な小説である(柴田元幸

は: なるほど、確かに抑制の利いた丁寧な心理描写が光る良い小説でございました。構成も入念で、今までの小説と秘密の明かし方がちょっと変わっているなと、はむちぃメ思いました。
ゆ: そうそう、そうだよね。ある意味最初からネタは割れていて、おそらくこう言う事なんだろうな、と思って読み進んで行くと結局その通りだった、というあまりビックリするところの無い展開なんだけど、
は: それが逆に効を奏していて、主人公たちと同じ意識で最後の謎に臨める為に凄くシンパシーが持てますね。主人公たちが唯々諾々として運命を受け入れてしまうところも哀れを誘います。
ゆ: ネタバレになるから言わないけど、同じテーマを扱っていながら以前紹介した某SF映画のような展開を取らないからね。ちょっと趣向は違うけれど「ブレードランナー」のルトガー・ハウアーたちのような哀れを誘う面が確かにあるよね。

は: 次に柴田先生が仰天させてくれるとおっしゃっておられる事についてはいかがでございました?
ゆ: 柴田先生の言わんとする事は分かっていますが、最初に書いた通り、作者は最初から素直に情報を小出しに出していますから、個人的にはそれほど仰天はしませんでしたね。まあ言っちゃあ悪いけど、SFの分野ではもうかなり手垢のついたネタですからね。
は: しかしあまりSF小説と言う感じはいたしませんね。
ゆ: そうだね、

これがSF小説か?

と言われると良い意味で違和感があるよね。現在という混沌とした時代にあってSF小説と純文学の境目を云々するのもナンセンスな気もするけれども、敢えて言うと

ドストエフスキーの「罪と罰」は推理小説か?

と問われたような困惑に似ているかな。
は: 主人公たちの幼い頃から成人するまでの細かい性格描写、心理描写、そして少しずつ見えてくる寒色系の外界の風景、運命の厳しさの淡々とした描き方、どれを取っても一流の純文学と言って過言ではございませんね。
ゆ: お見事はむちぃ君、良くまとめました。その通りかと存じます。ただし、訳文を読んだ限りでですが文体にはまだ生硬なところがあるような気がします。実直すぎて面白みにかけるというか、もう少し文章自体で遊んでもいいんじゃないかと思いましたね。
は: この漫談は文章で遊びすぎと言う意見もございますけれどね( 一一)念のため申し上げておきますと土屋先生の訳はすばらしいものですよ、皆様。

は: ところで同級生のN様がご主人様を直接ご指名なさったのはどうしてでございます?
ゆ: まあ、一応学生時代は「国語のゆうけい君」と呼ばれてた、と言うところでヨイショしてくれてるんだろうけど、それより何より職業柄この小説を読んで医の倫理的なものについて感想を求めたいと言うことなんでしょうね。
は: なるほど、テーマがテーマでございますからね。
ゆ: でもまあ、この小説で医の倫理を云々するのは野暮じゃあないかな、と言う気がします。この小説の本質は

限られた人生を限られた環境の中で生きる人々の心理的葛藤をシミュレートしてみる

という実験小説的なところにあって、医学的な問題はテンプレートとして利用したに過ぎないのじゃないかなと思うのですが、、、
は: が、敢えて答えるとすれば、、、
ゆ: 明確な自我を持った人たちをこういう風に利用することはありえないだろうと思います。単純な結論ですみません。

は: では、最後に一言お願いします。
ゆ: 表紙のカセットテープ、物語の中でも特に哀しみを誘うエピソードのキーパーツなのですが、もともとカセットと言うのは宝箱という意味だったと思うのです。カズオ・イシグロがそこまで考えて使ったのだとしたら、けっこう粋な遊び心を持った人だと思いますね。