ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

新リア王/高村薫

 高村薫の壮大な青森サーガ三部作の第二部新リア王をようやく読了しました。かなり大変でした。

新リア王 上
新リア王 上

新リア王 下
新リア王 下

    保守王国の崩壊を予見した壮大な政治小説、3年の歳月をかけてここに誕生!
  父と子。その間に立ちはだかる壁はかくも高く険しいものなのか――。近代日本の「終わりの始まり」が露見した永田町と、周回遅れで核がらみの地域振興に手を出した青森。政治一家・福澤王国の内部で起こった造反劇は、雪降りしきる最果ての庵で、父から息子へと静かに、しかし決然と語り出される。『晴子情歌』に続く大作長編小説。(AMAZON解説より)

 詳細を解説しだすときりがなくなってしまうので、冒頭リンクをご参照ください。さて、本作品は、連載していた日本経済新聞側と途中打ち切りですったもんだして、しかも次が渡 辺淳一の「愛の流刑地(通称愛ルケ)」だったので、普段読みもしてない日経に対し激しい憤りを覚えていましたが、う~ん、日経側の気持ち、読者の気持ち、わからんでもないなと思いました。

 正直言って小説としてはかなり退屈であり、また難解な宗教用語には辟易します。特に前半は永田町の一日と永平寺の修行を延々と語る事に費やされるため、何度か挫折しそうになりました。そりゃ、朝っぱらから電車の中でこんな小難しい文章を読まされるよりも、愛ルケ読んでニタニタしてるほうが仕事前の精神衛生上はいいでしょうね。

 高村薫女史の持ち味は、細部までの徹底したリアリズム、容赦ないまでの苛烈な人物描写、そして巧みなストーリーテリングの面白さと言ったところであったと思います。
 確かに戦後政治の成り立ちと崩壊そして光と闇が、女史の得意とする原子力行政を軸に重層的に見事に描写されていますし、女史の最近の興味の対象である仏教への深い造詣も恐ろしく深いところに達しているようです。ほんと、大学の政治史や禅宗のゼミでもあれば十分教材に使えるんじゃないでしょうか。
 しかしそれをつきつめたあまりに、女史の持ち味の一つであったストーリーテリングの面白さをばっさり捨ててしまったところにこの小説の難しい面があります。たとえば昔修士論文くらいの価値は十分にあると言われた小松左京氏の「日本沈没」は、プロットの面白さにおいても一級品であったがゆえに驚異的なベストセラーとなりました。新リア王も、女史の力量をもってすれば、或いは過去の人気のある登場人物を繰り出してくれば、もっとスリリングな展開に持ち込むことも容易にできたはずだと思います。敢えてそれをしなかったところに高村薫女史の覚悟なり、三部作という構成への強い思いなりがあるのでしょう。

 となると、気は早いですが、次の一手(最後の第三部)はどう繰り出してこられるのかが気になります。今回これだけトラブって発表の場はあるのか?それとも書き下ろしか?といったところも心配の種です。出版社としては今回チラッとその存在を垣間見せた、高村作品で最も人気のある合田刑事を起死回生の一手として使って欲しいでしょうね。

 あとは、個人的な思い出話などを少し。

 この小説は実在の国会議員が実名でバンバン出てくるところが話題になりました。そしてこの小説は1987年の11月という設定です。時あたかも田中派が分裂し、竹下登氏が着々と勢力を伸ばしていく時期に当たります。だから、竹下氏も実名で登場して重要な役割を果たしています。
 実は丁度この時期私は東京の某大学に国内留学していたのですが、その当時御世話になっていた教授が島根出身で、お父上も郷里で要職についておられたものですから、竹下氏とかなり親しい間柄だったようです。

「何でも困った事があったら私に言ってください、竹下の秘書に話をつけますから」

とおっしゃってたことを思い出します。実際当時の竹下事務所に不可能はないんじゃないかというくらい凄い力を有していたようです。卑近なところで言うと、コンサートチケットを手に入れることなんか朝飯前で、「ローリング・ストーンズのチケット手に入りにくかったら言ってくださいよ、前日でも手に入れますよ」とか教授に言われたこともありました。さすがに遠慮しましたけれどね。

 しかし栄枯盛衰は世の習い、そのたった2年後には竹下氏の秘書の青木伊平氏の自殺という悲しい事件がおこります。リア王では主人公福澤榮の金庫番である秘書が自殺する事件を軸にして話が展開します。この秘書はもちろん架空の人物ですが、どうしても青木氏の自殺とダブってしまいました。

あまりに深く欲望とつながりすぎ、もはや欲望につきものの暴力ですら横目で眺めて目するのが習い性となったこんな政治。たかが政治家の権力闘争に過ぎぬものにおいて、かくも醜悪な暴力装置が働く、こんな政治の一端にぶら下がってきたという事実(下巻p332)

リア王たる福澤榮の痛恨の思いの一端です。思わず先日のライブドア関連の変死事件などを思い出し、闇の世界は今もなお厳然として存在する、と暗澹たる気持ちにさせられました。