ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

戦後60年

 山崎ハコさんのCHARMというのはなかなか強烈なようで、しばらく更新が停滞してしまいました。かといって呆けてたかと言うと実はそうでもなく、仕事のほうはなかなかプレッシャーのきつい状況だし、世間の動きにも思うところがあるし、更にはプライベートで結構ショックなこともあったりで頭の中はけっこうごちゃごちゃしております。

 ともあれ、15日は戦後60年でした。干支で言うと五回りしてしまったわけですね。自分の生まれたのは戦後が一段落し干支が一回りした昭和32年でした。だから若い頃は団塊の世代の「戦争を知らない子供たち」からも少し遅れた世代だったわけで、戦争は歴史上の出来事として歴史の授業で教わりました。今から考えると現実世界にもかすかにその匂いは残っていましたけれど。

 しかし、戦後60年ということになると干支五回りのうち四回りを生きて体験してきたことになります。今の若い世代から見ると戦争直後の世代と一括りにされてしまうような時代になってしまったんですね。

 戦争を知らない子供たちが高度成長期、バブル期なんて時代を経ていい大人になってみてふと気づくと、今の若い人達は「もっと戦争を知らない子供たち」になってしまっているようです。新聞なんかでこの季節になると行われるアンケートなどを読むと、世代の差だけでは説明できないほど日本の現代史について無知な若者の比率が多い事にはさすがに愕然としてしまいます。

 マスコミでは「歴史教科書問題」などをかまびすしく喧伝していますが、実際問題としては現代史をおそらく学校で教わらない、または聞いてないんじゃないでしょうか。

 これに対して中国では天安門事件以後、反日を中心とした歴史教育を一段と強化したという事実があり、これでは両国間の歴史認識の差は広がるばかりでしょう。どちらがいいと単純に言える問題ではありませんが、少なくとも

歴史に学ばない教育というのは絶対にいけない

 ユネスコ憲章の前文はおそらく学校で一度は読んだことがおありと思いますが、下記のリンクでもう一度確認してみましょう。

リンク: 国際連合教育科学文化機関憲章(ユネスコ憲章).

 戦争は人の心の中で生れるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。

 政治的経済的取り組みのみによって平和を築く事はできない、真の平和は人類の知的及び精神的連帯によってのみしか維持されない、そのための教育は人間の尊厳に欠くことのできないものであり、且つすべての国民が相互の援助及び相互の関心の精神をもって果さなければならない神聖な義務なのである、という明快な主張には他の何物にも替え難い説得力があると思います。

 道理の通らない解散を仕掛けて支持率を上げ、刺客だ何だと威勢の良い小泉純一郎という人。このままだとおそらくまた一国の指導者として君臨されるのでしょう。でも彼の歴史認識では決して

世界の諸人民の、一致した、しかも永続する誠実な支持を確保できる平和

は得られないと思います。個人的な信条をとやかく言うつもりはありませんが、一国の指導者としてユネスコ憲章の精神を遵守して自国民の教育ならびに近隣アジア諸国との対話にあたっていただきたいものです。

 このブログでは政治的話題は扱わない、と今日まで自分の中で不文律として守ってきましたが今回はあえて破ってしまいました。