ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

映画「レディ・ジョーカー」を観てきた

 先日封切された「レディ・ジョーカー」を観てきました。

lady_joker

 高村ファンの私としては「映画化は殆ど不可能」と言われていた作品だけに期待と不安半々でしたが、まずまず満足できる仕上がりになっていました。いくらパンフレット内の文章と言えど、お世辞や上っ面だけの賛辞は決して送りそうに無いあの高村薫女史が

被害者も加害者も無く、最後に笑ったものは一人もいない無残な事件を描きながら、映画『レディ・ジョーカー』は戦後日本人の歩んできた道をよく映してくれていると思います。

と賛辞を送っておられますのでこれが太鼓判の替わりになるかと思います。原作を読んで観てみようかなと思われている方は是非どうぞ。

 高村女史が

戦後の長い繁栄が終わったのを目の当たりにしたとき、わたくしは宮沢賢治の詩にあるようにじっと手を見て、ふと、日本人が汗水たらして働いて稼いできたお金はどこに消えてしまったのだろうと思いました。

と書いておられるように、原作は偏執的ともいえる克明さで戦後日本の闇を照らし出した作品です。映画でも部落差別問題、在日朝鮮問題、総会屋と企業の癒着、警察官僚組織の弊害等をよく描いていると思います。ただ、原作を知らないとあれよあれよという間に話が進んでしまうのでちょっと理解が追いつかないのではないかと懸念しました。パンフレットに2時間1分と書いてあったので短すぎないか?と思っていましたがあと30分くらい足してもう少し丁寧に描きこんでも良かったのではないかな。社長役を重厚にこなした長塚京三がいみじくも監督の平山秀幸を評して

西部劇的に単刀直入で、荒削りで直線的なダイナミズムを好み、最短距離で欲しい物をつかむ

と語っているそのままがこの映画にも当てはまるようです。だから高村作品が社会の闇と個人の心の中に潜む闇を重層的に描いていくのに対して、映画では後者への掘り下げをわざと避けている感じがしました。そこまで入り込むと映画としてまとめきれないのでしょうけれども、例えば犯人の一味の半田刑事が

警察という職業はあっているけど組織は合わない

と語るとき、彼がどういう経緯でそのような鬱屈した思いを抱くようになったのかを描いていないので、感情移入しにくいという面は否めません。

 

 とはいえ、その半田修平を演じた吉川晃司の存在感と演技には驚きました。あのロックスターがこんな良い俳優になっていたとは寡聞にして知りませんでした。その他のキャストも概ね正鵠を得ており、良い人選でしたね。それだけに繰り返すようですが、もっと丁寧に個々の人物の心の闇を描いても良かったのではと思います。

 個人的に外してほしくなかったシーンを述べると、私としては、城山社長は総会屋の暴漢に襲われて死亡して欲しかったです。そしてだれかに

「この国はどうなっているのだ」(原作では新聞の横凸見出し)

と叫んで欲しかったです。家内はラストシーンは物井とヨウちゃんとレディが青森の草地にいるところで終わって欲しかったと言ってました。

 最後に一番残念だったことは劇場がガラガラだったこと。ハウルはきっと満員なんだろうなと思うと歯軋りしたいほど悔しいですね。

レディ・ジョーカー〈上〉レディ・ジョーカー〈下〉