ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

JAZZ ROCK再考

 TakiさんがJAZZ ROCKについて色々と考察を加えてくださっており、勉強になります。言いだしっぺとして何かコメントしなければと思いつつ、呆れるほど知識というか記憶が無いので我ながら唖然としている次第。取り敢えずトラックバックしてみましたので、まずはTakiさんのblogをお読みください。

 Takiさんが考察されている時代私は英国ロック一辺倒で、ジャズのことは殆ど知りませんでした。この頃はビートルズがスタジオにこもってしまい、そして内部分裂していき、一方で新たなる胎動としてハードロックやプログレッシブロックが出現してきた時期に当たります。マイルス・デイヴィスが「電化マイルス」としてもてはやされていることくらいは知っていましたが、英国ロックファンから見れば「へ、今頃電化?一体エジソンから何年経ってるの?ジャズメンは電気を知らなかったの?」程度の認識しかありませんでした。だから、Takiさんが紹介しておられるゲイリー・バートンやホレイシー・アーノルドのアルバムの面子は今でこそ凄いメンバーだなと思いますが、その頃紹介されてもおそらく一片の興味さえ湧かなかったと思います。

 その頃の英国ロックは大体キーボードかギターがイニシアチブをとっていました。そしてこの二つはそのルーツがはっきりしていました。すなわち

キーボード:クラシック系キース・エマーソンリック・ウェイクマン

ギター:ブルース系エリック・クラプトンやジミー・ページ等

 だからジャズの入り込む余地がはあまり無かったと思われます。ドラマーにジャズ好きの人が多いと言われています(ビル・ブラフォードやチャーリー・ワッツ等)がロックの流れを変えるほどの勢力ではなかったように思います。あの時期で積極的にジャズに目を向けていた大物といえば天才ジェフ・ベックくらいではないでしょうか。

 私といえばまだ学生で一月に何枚もLPが買える訳でもなく、当然他のジャンルはFMでエアチェック(死語?)するしかありません。だから当時の記憶としては

フュージョンチック・コリアのReturn To Forever=軟弱音楽

クロスオーバー:クロスオーバーイレブンvsジェットストリーム石橋蓮司vs城達也

程度しかありません(ーー;)

 フュージョンというと単純にロックとジャズの融合と思われがちですが、こう考えてみると殆どジャズ側だけでの出来事だったのではないでしょうか。まあ、一言で言えば「ジャズの電化運動」でしょうか。もともと理論やテクは抜群の人たちばかりですからやり始めたら熟成されるまでは如何程の時間もかかりませんでしたね。Takiさん御指摘のCTIレーベルもそうだし、チック・コリア、ボブ・ジェームズ、ハービー・ハンコッククルセイダーズウェザー・リポート等々。

 そして彼らの偉いところは、ジャズ仕込みの芸術性を残しながら商業的に成功しているということでしょう。当時の(特に日本の)ジャズファンは芸術性を重んじ商業ベースに乗ることを「堕落」と捉える傾向が強かったように思います。私も神戸の某ジャズ喫茶でクルセイダーズの「スクラッチ」をリクエストして周りの人からじろっと睨まれた覚えがあります。しかし商業ベースに乗らなくて何のプロか、とロック側からはずっと見ていましたし、もう完熟の域に達していたアコースティック・マイルスが電化の道を選ばざるを得なかったのも一つには「売れなくなったから」というのは周知の事実でした。

 こうして岡目八目的に見ると当時のフュージョン化というのはロックに席巻されたマーケットの挽回、すなわち生き残りをかけたジャズ側の反撃だったのかもしれません。そこに難しい理屈をつけようとするところがジャズメンらしいといえばらしいですが(Takiさんごめんなさい)。

 イーグルスが「ロックスピリットは69年で終わった」と歌い、ロックがその魂を巨大な商業マーケットに売り渡してしまった頃には、ロックやジャズの垣根というのはもう殆ど意識されなくなり、「売れる音楽」か「売れない音楽」かというバブル時代が到来してしまいました。クインシー・ジョーンズマイケル・ジャクソンをプロデュースする時代になってしまいましたからね

 ただ、ウェザー・リポートのライブに書かれたアラン・リーズのライナーを読むと、彼らくらいのビッグ・ネームでさえとても儲けるどころでは無く、「常に破産状態だった」らしいです。フュージョンというマーケットの限界が垣間見えるエピソードですが、それ以上に心打たれるエピソードも書かれていますし、当時のアメリカのマーケットの状況が非常に興味深いです。機会があれば是非読んでみてください。もちろんWRの演奏も最高です。

ライヴ&アンリリースド
ウェザー・リポート