ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

JAZZ ROCK私見

 前回の続きです。前回はフュージョン、クロスオーバーといったジャンルが殆どジャズ側のみのムーブメントではなかったか、という話をしました。では、お前の考えるジャズ・ロックとは何だったのか、という話をしなければ片手落ちになってしまいます。プログレの達人Starlessさんからも心強い意見をいただきましたので、私見を述べたい(そんな大したもんじゃないって^^;)と思います。

 でもってその答えとなると、依然として私は「ジャズ・ロックとは何ぞや」という記事で書いた様に英国ではコロシアム、米国ではBS&Tを主流とする流れではなかったかと思うのです。Takiさんからそれはブラス・ロックではなかったのかという御指摘もいただきました。そのことをずっと考えていたのですが、ハタと思い当たった事があります。実に乱暴な見方かもしれませんが、

○ジャズ側から見ると、電気楽器を使うだけでロックに見える 

  = フュージョンジャズロックである

○ロック側から見ると、ブラスを導入するだけでジャズっぽく聞こえる 

  = ブラスロックがジャズロックである

というところでジャズロックに関して意見の齟齬が出てくるのではないかと。極論なのは承知ですが、案外的外れでも無いような気がしています。さて、そのコロシアムを中心とした英国ジャズロックの流れについてもう少し。

 実は私が解説するまでも無く、「コロシアム・ライブ」というアルバムの日本語ライナーノーツにはそのあたりの動きが実に見事にまとめられています。伊藤政則氏のペンになる文章です。

Live
Colosseum

ブリティッシュ・ジャズの母体となった「ニュー・ジャズ・オーケストラ」からコロシアム、グラハム・ボンド・オーガナイゼーション等がどう派生して行ったか、ブリティッシュ・ロックのもう一つの母体であるブルース系のルーツであるアレクシス・コーナーズ・ブルースインコーポレイティッドやジョン・メイオール・ブルースブレイカーズとどうかかわっていったのか、そしてあの偉大だが短命に終わったスーパーグループ、クリームにどう繋がっていったのか等々複雑に入り組んだブリティッシュロック揺籃期の流れがよく理解できます。

 その軸になっていた一人がコロシアムのドラマージョン・ハイズマンであり、彼の周りに集っていた優秀なプレーヤー達が英国のジャズロックを形成していったのだと私は思います。クリームのジャック・ブルースジンジャー・ベイカーもそうですし、Starlessさん御勧めのNucleusイアン・カーもその一人でしょう。そして忘れてならないのはジョン・マクラフリンとともにジャズ・ロック両サイドからオールマイティ・カード的にその実力を認められていたギタリスト、アラン・ホールズワースですね。

 アランは私的にはU.K.(ゆうけい^^;)で同じジャズ志向のビル・ブラフォードと組んでくれたことが最高に嬉しかったですが、やはりウェットン、ジョブソンとは合わなかったらしく、一枚でビルブラとともにU.K.からは離れていきました。ビルブラとはその後も2枚のソロアルバムに付き合っています。

 残念ながらブリティッシュロックのメインストリームはグラムからパンクへと流れていってしまい、ジャズロックがその後ヒットチャートを賑わすことはありませんでしたが、もう一本の柱であったブルースとともに英国ロックの通奏低音として脈々と受け継がれているのでしょう。

 ちなみにイアン・カーという人は筆の方もたつ人で「マイルス・デイビス物語」という著書もあります。

Miles Davis
Ian Carr