ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

「アフターダーク」雑感

 結局私たち春樹中毒患者は彼にメインラインされているのだな、というのがネット散策で夥しい数の「アフターダーク」に関する感想を見ての実感です。その中でもっとも詳細でおそらくかなり正鵠を射ているだろうと思われるthessalonikeさんのblogトラックバックしてみました。

 彼の批評の中で気になったのが、春樹氏が意識的に寸止めしているという点です。以前さいとうたかを氏がゴルゴ13を長続きさせるコツはわざと人物像を浅く書くことだとおっしゃっておられたのを思い出してしまいました。要するに作品に深みを与えるためにも、作家生命を延ばすためにも寸止めは有効ということ。そこで思い出すのがメインラインという言葉です。

 メインラインというのは以前村上春樹氏のエッセイのどこかで見かけました。氏が米文学流行作家(おそらくカーヴァー)にインタビューした時に「人気を維持するコツは読者をmainlineすることだ」といわれて意味が分からず聞き返したところ、麻薬中毒者を慢性的枯渇状態に置くことがもともとの意味らしく、常に自分の読者に次が読みたい、次が読みたいと思わせるような露出の仕方をしていくことだと答えたというような内容だったと思います。

 勿論メインラインすることは悪いことではありません。作家にとっての死活にかかわる問題ですから意識して当然ですし、実際村上春樹氏は小説家が生計を立てていくことについてのエッセイも書いておられたと記憶しています。

 実際今回の感想の多くは

やや物足りないが新しい試みもあり、次へどうつながっていくのだろう
という視点が多く、村上春樹氏ほどの作家であれば当然予想し、メインラインすることを計算もしていたのではないでしょうか。読者の期待を適当にはぐらかしつつ自分なりにやってみたい新しい試みをさらっとやってみよう、読者の気持ちが離れない程度で、というくらいの技量は十分すぎるほど持ち合わせている人ですから。

 読者側にとっていいか悪いかはこれはもう1400円が高いかどうかだけの問題。私は適当な値段かなと思います。多くのハルキストは損はしなかったと思っているでしょうし今後も買い続けるだろうと思います。そういう意味では作家側からすれば成功作なんでしょうね。

 ここ最近の彼の長編小説の発表の仕方を見てみても「ねじまき鳥クロニクル」「スプートニクの恋人」「海辺のカフカ」「アフターダーク」とヘビー、ライト、ヘビー、ライトと絶妙のリズムがあるようで、長期的なメインラインの意志を垣間見るような気がします。だから「アフターダーク」に思いを残しつつ次回作を楽しみにしている読者にとっては、良い悪いは別にして予想外の作品が待っているのではないでしょうか。

 個人的な感想を一つだけ付け加えるならば、(前回の短報でも書きましたが)これほど曲名が溢れているのにこれほど音楽が遠く感じる作品は初めて。意識的に浅く描くことを音楽にだけは敷衍して欲しくなかったですね。幸い毎号買っているステレオサウンド誌での連載「音楽のある場所」で飢えは満たせますが、やはり小説の中での春樹氏の薀蓄を読みたいです。