ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

ユニセフ・ニュース2009春

Unicefgaza
日本ユニセフ協会HPより)
 いつも紹介している国境無き医師団の報告と内容がかぶる部分が多いので今まで日本ユニセフ協会のニュースは取り上げてきませんでしたが、春号にガザの報告があったので記事に取り上げてみます。本ブログの新企画の「今日の一言」が「イスラエルに平和あれ!」で始まりましたのでそのけじめもつけないといけないですしね。以下、ニュースとHPから要約してみます。

『 2007年12月28日のイスラエル軍侵攻に始まった中東パレスチナガザ地区での武力衝突は2008年1月18日双方の勢力が停戦を宣言しました。イスラエル軍空爆は終わりましたが、散発的な衝突が場所によっては続いているといいます。(2月17日現在)

 パレスチナ自治区の保健省によると、

犠牲者:1404人(うち子ども431人女性114人
負傷者:5380人(うち子ども1872人女性800人

 ガザの人口141万7000人の約56%が子どもで、死者・負傷者の約3分の一が子どもでした。イスラエル軍の犠牲者は9人、負傷者183人でした。

 今回の衝突で手足を失った人たちは少なくとも200~300人白リン弾によると思われる重度のやけどをおった人たちも数多くいてそのリハビリには長い時間がかかると言われています。白リン弾とは爆弾の一種で、中に入っている白リンが大気(酸素)と結びついて燃焼し、人の近くで爆発するとひどいやけどを負わせるため「非人道的な兵器」として使用禁止を訴える人たちも多い武器です。

 また、ガザの学校は深刻な影響を受けており、10校が全壊、168校が部分的に損害を受けました。また、イスラエル南部の学校も武力衝突の攻撃を受けました。

 今回の武力衝突が始まってから、ユニセフは、緊急医療物資を含め、水と衛生施設の修復のための資材や飲料水、公衆衛生物資、栄養不良改善のための治療用の食品などの提供のほか、子どもたちや子どもたちの世話をする人々など、支援の最前線で活躍する人々たちへの心理的サポートなどの支援活動を行っています。また、ユニセフは、できる限り早く子どもと先生が学校に戻れるよう学校教材も提供しました。

「 私は次の言葉を世界の指導者たちに送りたいと思います。私たちのヒューマニティは、どんな国籍の子どもたちであろうと、子どもたちが軍事行動の犠牲になっている限り、完全ではないと。
(中略)
 世界の人々は、子どもを亡くした母親たちに、なんと声をかければいいのでしょうか。一日に5人の娘を失ったパレスチナの母親に。痛みに泣き叫ぶこどもたちや、私たちが一生涯かかっても経験しないであろうトラウマに対処しなければならない子どもたちを見る母親たちにどんな声をかけたら良いというのでしょうか?
 彼らの命はどうでもいいのだと?その死は数える必要などないと?そんな事が言えましょうか?
(中略)
 彼らの命はとても大切です。失われた命はどれも尊い命なのです。私たちが言うところのヒューマニティから切り離してはいけないのです。どの子一人とて、どの市民一人とて、無視できる存在では無いのですから」(ユニセフ子どものための大使ヨルダン・ラニア王妃の緊急メッセージ)

「子どもたちには優れた回復力があります。だからこそ、適切なケアと教育の機会を提供し、子どもたちを保護し、普段の生活に戻れるように支援することが、『今』必要なのです。私たちは、今、この時期の支援活動を滞らせるわけには行きません。」(アン・ベネマンユニセフ事務局長) 』 

 日本ユニセフ協会は、2月12日15万ドル(米)(約1400万円)をユニセフ本部に緊急拠出したそうです。ユニセフは国際社会に対して3400万ドル(米)の協力を呼びかけています。

 以下余談ですが、Voiceという投稿欄に京都の方が昭和24年の「ユニセフ物資配給券」を心温まる手紙とともに送っておられました。その方の祖母が女児用に配給された券を保存されていたそうです。
 若い方にはぴんと来ないかもしれませんが、今でこそ最大の支援国側の一国である日本も、第二次世界大戦後は設立されたばかりのユニセフの援助に支えられ、戦後の荒廃から復興しました。支援は1964年まで行われ、当時の金額で65億円にものぼりました。ご高齢の方には「脱脂粉乳」というイメージが強いと思いますが、原綿を供給して日本で加工することにより産業と経済にも寄与していました。ちなみに私も小学校中学年頃までは学校給食に脱脂粉乳が出ていて嫌々飲んでいましたが、日本の飢餓を救った功績は計り知れないものがあったのですね。