ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

50mの海岸線~年末のご挨拶

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Google Mapより、赤丸:芦屋川河口の砂浜)

その荒野には何十棟もの高層アパートが、まるで巨大な墓標のように見渡す限りに立ち並んでいた。(中略)僕は預言する。君たちは崩れ去るだろう 」

  村上春樹:「5月の水平線」より抜粋(カンガルー日和 所収)

 今年はこれが最終の記事になります。本年は幸い中断することなくここまで持ちこたえることができました。ひとえに訪問いただく皆様のお陰と本当に感謝しております。正直なところ、体調は決して回復しているわけではなく不安な毎日を過ごしていますが、このブログを外界への小さいけれど大切な窓として守り続けていけたら良いなと思っております。

 「今年を振り返る」シリーズでは言及しませんでしたが、アクセス解析をみてみると、意外なほど根強く検索され読まれている記事に「物語の力/村上春樹インタビュー」があります。神戸新聞に本年4月から毎日曜日に「風の歌 村上春樹の物語世界」と言う新連載が始り、それに先んじて掲載された3回のインタビューをまとめたものでした。

 失礼を承知で言えば残念なことに、その後の連載は村上春樹氏(以下春樹氏と略)本人ではなく共同通信編集委員・小山鉄郎という方が書かれています。正直なところ春樹氏の文章ではないので楽しみに待っていると言うほどではないのですが、それでも日曜日には必ずチェックしています。

 ご存知の方も多いと思いますが春樹氏は芦屋市出身です。そして今年最後の12月28日掲載の第38回「海の力を感じていく」と言う記事では、その芦屋川河口の

五十メートルの砂浜

について考察されていました。春樹氏が何回もの引越しを経てたどり着き、現在お住まいの大磯には昔ながらの海の風景が残されていて、紀行記「辺境・近況」で

「まだ泳げる海岸があり、緑の山がある。僕はそういうものを、僕なりに護っていきたい」

と書いておられるのに比して、冒頭に記した「5月の水平線」(1981年)では消え去ったものへの哀愁を書くのではなく、その変化への怒りを露にしています。
 友人の結婚式で帰郷するとかつての波打ち寄せる海岸は埋め立てられた広大な宅地と化していたという、まあ今の日本ではどこにでもあるような話なのですが、それに対してこれほど怒りをあらわにする春樹氏というのも珍しいです。

Wangansen
 高速道路としては異例なほど美しい阪神高速湾岸線(冒頭MAP中央部を貫く緑の線)を通りますと、この辺りの風景は一見とても綺麗です。しかしGoogle Mapで見ると、芦屋川河口に残されたたった五十メートルの砂浜のみじめさも容易に理解できます。

 「山を崩し、海を埋め、井戸を埋め、死者の魂の上に打ち建てたもの」(小山氏文章より抜粋)

の上に築いてきた文明の一つの帰結が阪神淡路大震災だったのではないか、ということはこの地に住むものの多くが実感として感じています。不快な予感を大震災の十年以上前に春樹氏が五十メートルの砂浜に感じ取っていたとしても、彼の感性からすれば不思議ではないでしょう。

Koubeairport
 しかし、行政がその後行ってきた事はやはり復興という名の「山を崩し、海を埋め」る事業でした。その最たるものが神戸市民の市民投票を無視してまで完成させた神戸空港です。リーマンショックがなくてさえ、その行く末は見えていました。私が村上春樹氏ほどの頭脳がなくても分かります。その莫大な負債を払い続ける一市民として私も言わせていただきます。

僕は預言する。君たちは崩れ去るだろう。

 日本よ、復興させなければいけないのは果たして「経済」だけなのか。この小さな島国のこれ以上の「成長」は既に泡(バブル)と消えた幻でしかないのではないのか。既に苦しみ始めている若い世代に何を残そうとしているのか。

 それでなくてもこんなご時勢です。年の瀬に一度立ち止まって考えてみるのも良いのではないでしょうか。

 そしてそれでも否応無く2009年はやってきます。来年が皆様にとって良い年でありますように。