ゆうけいの月夜のラプソディ

ゆうけいの月夜のラプソディ移植版

真珠の耳飾りの少女

 25日から兵庫県立美術館にてアムステルダム国立美術館展が始まります。フェルメールの絵がまた一点やってくるわけです。今回は「恋文」ですが、今日は家内が最も好きな作品をもとにした映画「真珠の耳飾りの少女」を紹介しましょう。
真珠の耳飾りの少女 通常版

「君を描こう。」少女は息をのみ、画家を見つめ返した。

 1665年、オランダ。天才画家フェルメールの家に使用人としてやってきた少女グリート。下働きに追われる中、色彩における天賦の才をフェルメールに見出されたグリートは、やがて弟子となりモデルとなり、画家に創造力を与えるようになる。主人と使用人としての距離を保ちつつも、次第にお互いが本能で理解しあえる運命の相手だと気づく二人。許されぬ恋。触れ合うこともできぬまま、押しとどめていた想いは、しかし画家とモデルとして向き合うことでやがて、押さえきれぬものとなっていく。だが、そんな二人を嫉妬に身を焦がす画家の妻、好色で狡猾なパトロンが許すはずもなく、少女はその想いを犠牲に、敬愛する画家と芸術のためにその身を危険にさらしていく・・・。(オフィシャルHPより)

 フェルメールの絵の中でも特に評価が高い「真珠の首飾りの少女」を題材にした小説の映画化です。1665 年、オランダのデルフトという時代設定。ルネッサンスを語る上でのアンチテーゼとして、中世ヨーロッパは人間性抑圧の時代とよく言われますが、この映画でもキリスト教による締め付けや商業の発達による経済格差がもたらした階級社会の形成などがさりげなく描かれています。だから、映画は全体的に暗いトーンで進んでいきます。だからこそ光の効果を追求し続けたフェルメールの絵が引き立ちますし、そのアトリエも美しく描かれています。フェルメールの絵に多く出てくる部屋のシチュエーションやカメラ・オブスクラといった装置などを忠実に再現しているあたりはフェルメールファンにはたまりません。
 一方キャスティングも主人公はもとより、家族、太った小間使い等々フェルメールの絵画で見たような人たちが多く思わずにやりとしてしまいます。
 以上脚本、映像、キャスティング等の妙か、小説を基にした作品にもかかわらずあまりにもリアルすぎて実話であるかのような錯覚に陥ってしまうほど。家内もグリートがあまりにもかわいそうで、フェルメール夫人の出てくる絵を見る気がしなくなった、とこぼしておりました。

 そして官能性。画家フェルメールと使用人グリートの交感は、ラブシーンが全く出てこないにもかかわらず濃厚なエロティシズムに満たされています。見つめ合う、手が触れる、カメラ・オブスクラを一緒に覗き込む、それだけでも十分官能的ですが、モデルになった時にフェルメールから唇をなめて濡らすように指示されたときの仕草には鳥肌が立つほどです。そしてピアスをつけるためにグリートの耳たぶにフェルメールが焼けた針を刺す場面でその交感はクライマックスを迎えます。よくぞキスシーンもセックスシーンも無しでこれだけの官能性あふれるシーンを作れたものです。ピーター・ウェバー監督はこれが長編映画デビュー作というから驚きです。(なお、肉屋の息子との間にはラブシーンがあります)

 それにしてもまあ、良くぞあの絵画に描かれた美少女とそっくりの女優さんを見つけてきたものです。スカーレット・ヨハンソンという女優さん無しではこの映画は成立しなかったのではないかとさえ思ってしまいます。全編にわたって殆ど髪の毛を見せないのですが、それでも十分に美しいのですから脱帽です。もちろん演技力も素晴らしい。先ほど述べた官能的な場面はもとより、フェルメールの絵に魅入られて彼女の中の芸術性が目覚めていく様、更には身分の低い教養のない使用人としての仕草等々見事なものです。まあ、

富も地位も教養もない使用人がこれだけ美しければ奥方が疳積を起こしても仕方ない

なあ、と思いました。意外に真実だったのかも。